君を愛す −SIDE A −


小さい頃の記憶。
白い四角い部屋。がらんとしたなにもない部屋。そこに閉じ込められた記憶。
おとなりのアテムくんは引越しをするんだって。ママがそういっていたのを聞いた。ボクはにわかに信じられなかった。
そんな、まさか。
ずっとボクと一緒にいるって約束したのに。
急いで隣にいって、ドアをめちゃめちゃに叩くとアテムはすぐに顔をだした。
でも、いつもと違う。部屋のあちこちががらんどうになっていて、これからここにいなくなるんだということがボクにもわかった。
「行かないで。キミと離れたくないよ」
泣きじゃくりながらそういったら、アテムは同い年とは思えないくらいとても深いまなざしをしてこう言うのだ。
「相棒は、俺が好きか?」
「うん」
「俺と一緒にいてくれるか?」
「うん」
涙をぬぐいながらうなづいた途端に、手を引っ張られた。ぐるっと身体が回ったと思ったら、四角い部屋のなかに押し込められた。ばたん、って音がして振り向いたらドアが閉じられてる。
「相棒、そこにいてくれ。きっと一緒に連れていってやるから」
「どのくらいなの?」
答えはなかった。
最初はそれでも我慢してじっとしてた。でもあまりに静かで怖くて、誰も傍にいなくて1人きりで。気がついたらとっくにおやつの時間も過ぎていた。
ボクはどうなるの?一緒にいくっていうけれど、ママやじーちゃんとも離ればなれなの?
アテム、キミのことは大好きだけど、ボクをどうするつもりなの?
不安で押しつぶされそうになって、ボクは呼びかけた。
お願い出してって言うんだけど、外にいるはずのアテムからはなにも答えは返ってこなかった。泣いても叫んでもドアを叩いても聞き入れてもらえない。
瞬間、本当に身体が冷たくなった。
ボクはその感情が恐怖だということを理解したのだ。心の底から。



それは高校初めての夏休みに入ってから少しの日。
「お隣のアテムくんにご飯届けにいってあげてちょうだいね」
夕ごはんを作り終えたママがそう言った。
「1人きりで暮らし始めたなんて大変よねえ。えらいわねえ。」って。
なにが大変なもんか。なにがえらいもんか。
ボクは心の中でこっそり毒づいた。実際、ボクは彼が挨拶にきたあの日からいつだっておびえてたんだ。いつボクの家に世話になりにくるんじゃないかって。
「ボクが行かなきゃダメなの?」
それでもしぶっていると、ママがダメだしした。
「何いってるの!昔はよくアテムくんと遊んだじゃない。ほら、早くいきなさい」
ほんと、気が乗らない。
強く押されてようやくのろのろ動くのが精一杯だ。するとママのきんきんした声が後ろから聞こえた。「聞いてるの!遊戯!ママたちはもう出かけますからね!」
「わかってるよ」
そこまで言われてボクはやっと歩を進めはじめた。
幼ななじみ。ボクたちの関係は世間でいうとそうだ。
小さなころ、びっくりするくらい綺麗な男の子が隣にいた。それがアテム。成長して、それから綺麗なのは今も変わらなかった。外見だけは。
ボクも昔は彼が大好きだった。
学校でもあまり友達がいなくって、彼と遊ぶのが唯一楽しかった。草むらで、お互いの家で、ゲームをしたりして遊んだ。
「相棒」と彼は呼ぶ。
「そう言ったほうがかっこいい。こないだテレビで言ってたぜ」
あいぼうってどういう意味、と聞いた。
「…ずっと一緒にいる、パートナーって意味なんだぜ」そこでごまかすように、その男の子は膝小僧に手をこすりつけた。「だから、相棒は俺とずっと一緒にいなきゃだめなんだ。わかるだろ?」
その男の子の記憶はここまでだ。あとは『アテム』という男の記憶しかない。
背の低いのを気にしてた綺麗な男の子は、ある日ふいに得体の知れない何かに変わってしまったからだ。
アテム。
彼が隣のあの家に舞い戻ってきたのは一月ほど前のことだ。
幼い頃に彼は隣に住んでいて、ある日遠くへ引っ越していった。それはお父さんの仕事の都合でそれについてあちこち転々と住居を変えていたんだそうだ。ただ今の家は彼が産まれてから数年の間過ごした家だし、いわばあれが本当の家なのかもしれない。
あとで知ったんだけど、彼が引っ越したきっかけはお父さんの仕事のほかに−−こっそりいうならお母さんの離婚もあったからしい。
あのころのアテムは確かに悲しそうな目をしていた記憶がある。
だけど、同時にボクのなかの楽しい記憶もそこまでしかなかった。なにしろ彼は…
ううん、やめようこんなの。
ボクはつっかけを履いて、さっさと鍋を届けにいった。隣だし、数歩あるけば澄むことだ。
ぞんざいに押して、ドアチャイム。
顔を出してきたら、鍋を押し付けて帰ろう。
そう思っていたけれど、誰も出なかった。しぃんとしている。門灯はついているみたいだけど。
しばらく待ってみたけれど、扉に近づく気配もない。
嫌だけど。本当に嫌だけど。まさか玄関の前に鍋を置くわけにいかない。ためしに取っ手を握って押してみると、簡単に開いてしまった。
「…お邪魔します」
中も暗い。あちこち真っ暗だ。奥に明かりがついている気配もないし。
とりあえず鍋を置いてから、どうしようと考えた。
それにしても周りの空気がとても重苦しい気がする。ボクの感情からくる錯覚なんだろうか。暗くて、重苦しくて、玄関はそれでも広いのに、でもどこにもつながってないみたいに見えなくて…
はっとした。
この感覚。覚えがある。思い出さないほうがいい気がする。
呼吸が少し乱れてきた。目がいっこうに闇に慣れない。この家の匂い、昔のあの匂いと一緒で…いや、だめだってば。思い出さないで!

「相棒」

幻聴かと思った。でも本当に声がした。
それから含んだ笑い声を背中のほうから聞いた。ボクは冗談と笑い飛ばせる余裕もなく、ただあの日と同じ感情にそっくりそのまま飲み込まれてしまった。冷たい手が背中から肩へと這う様子が、蜘蛛のようだ。
アテム。
つまり、あの幼い少年にとって代わったあの男が背後にいるのは明白だった。
あっと叫ぼうと口が開いたのを見計らったように、なにかが押し当てられた。布の感触。そこから甘い匂いがただよってくる。
それが鼻腔にはいったとたん、くらくらした。
だめだ!ちゃんと目を開けていないと!ちゃんと…
意識は保てなかった。最後に身体がだらりと崩れ落ちる感覚がしたあと、ボクの視界はあっさり暗転した。



「−−ええ、はい。急に気分が悪くなったみたいで。大丈夫です、俺がちゃんとついてますから…はい、それじゃあ失礼します」
遠くで声が聞こえる。
誰?電話?
いったいなんの話をしているの?
頭が重くて身体がだるい。うまく動かせない。ボクはどうなったんだろう。意識がまるで別のところにあるみたいで、ふわふわ漂っているような感覚がする。
すると、身体のどこかで冷たい何かが触れたような気がした。ついで、なにか金属のこすれる音。がちゃん。なにかが閉まる音。
なに?一体何が起こってるんだろ?だんだん意識が浮かび上がってきた。冷たい感触は左手に少し残ってる。
そこでボクはようやく目をこじ開けた。
うすぼんやりとした視界にまぶしい光がきつくて、何度か瞬きを繰り返すとだんだんはっきりと見えてきた。ここは…部屋の中?でもこの天井は、ボクの部屋でもリビングでもない。だけどどこかで見たことのあるような…
「おはよう相棒」
背筋が凍った。
反射的に声のした方に顔を向けると、そこにいるのは微笑んでこっちを見ている男。いや、その笑顔の面影はまちがいなく。
アテム!
飛び起きて離れようとして、手首の痛みに気づいた。
「おいおい、少し痛いぜ」
アテムはちょっと苦しげに笑う。
対して、ボクは自分が見ているものが信じられなかった。左の手首に光る鈍い銀色。ぐるりと一周描いたそれは、ドラマで見たことあるのとそっくり同じ手錠。よく見ればアテムの手にも同じものがある。
驚いたのはそれだけじゃない。手錠にはさらに太い鎖がついていて、それがボクともうひとり、つまりアテムとをつなげているのだ!
「な…なに、これ…」
搾り出した声が震える。これはほんとうに現実なんだろうか?
「これ、どういうこと!?」
叫んでから、うろたえてあたりを見回した。やっぱりここはボクの家じゃない。
この部屋、白い四角の部屋…もしかしてここ、アテムの?!理解した途端、ほとんど反射的に彼との距離をとろうとした。だけど鎖がそれを阻む。
アテムは間にある鎖を指先でもてあそびながら、言った。
「これはな、相棒とずっと一緒にいたいから作ったんだぜ」
「え…」
「俺も考えたんだ。なにしろ離れてる間が長かったからな。だからその分、」
彼はそこで綺麗に笑った。
「これならこれから離れることもないだろう?」
ボクはあっけにとられてアテムを見つめた。いや、見つめることしかできなかった。
なに?なにを言っているの?意味がわからない。全てが理解不能だ。冷たい水を頭からかけられたみたいに冷んやりしているのに、思考がぐちゃぐちゃに踏み荒らされたまま。
だけどそこでアテムは笑って、
「なあ、腹減らないか?さっき相棒が持ってきてくれた飯があったよな。相棒も夕飯食べてないんだろ?」
いたって平坦な調子で言ったのだ。
まるで、今起こっていることが日常の一部であるかのように。
「そうだ、あとで相棒の話を聞かせてくれよ。離れている間、俺の知らないことがどのくらいあったのか知りたいんだ」
大きな手がボクの手を握る。その途端、ボクは背中になにか寒気が走るのを感じたのだ。それは正体がわからないものに対する恐怖とおんなじだった。



ママが渡してくれた鍋の中身は、ボクも大好きなビーフシチューだった。
ふたを開けると、ただよう美味しそうな匂い。今の状況じゃなかったら、絶対にボクも喜んで飛びついてたに違いない。
目の前にあるのは同じように盛られたシチューとスプーン。
ボクは本当は少しも食べたくなんてなかったのだけど、つながれた状態では彼の行動に合わせることしかできない。ボクらは自然と隣同士に座って夕食を食べるという格好になった。
「食べようぜ」
促されてもボクは少しも動けなかった。
食べられない。食べる気なんて起こらない。
目の前にある湯気だつ茶色の液体を見つめる。もしかしたら、なにか仕込まれていることだってあり得る。現にさっきボクが気を失ったとき、確実に薬のにおいがしたじゃないか。
考え込んでいると、知らず知らずのうちに冷や汗が流れた。
「相棒?せっかくママさんが作ってくれたんだから、食べないと悪いぜ」
そういう彼は平然と口にシチューを運んでいた。
…同じ鍋からすくったのなら、何か仕込まれてるっていうことはないかもしれない。ボクの皿をいじったりする様子もなかった。でも!
なおも思案しているボクの顎に、ふいに何かが触れた。
「ひっ」
少し冷たい温度。アテムの指だ。
途端に身体がぶるりと震えそうになった。アテムは開いた片方の手でスプーンを掴み、ボクの皿のシチューをすくった。そして、口元につきつける。
「ほら、口をあけてくれ」
ママの作ったビーフシチュー。ドミグラスソースの匂い。
馴染み深いはずなのに、ボクは激しく嫌悪感を感じた。猛烈に胸がむかむかする。だけどスプーンは引っ込むどころかぐいぐい唇に押し付けられた。
食べなきゃダメなんだ。
迷ったけれど、覚悟を決めてそろそろ口を開いた。すぐさま口のなかに温かな液体が流れ込んでくる。喉の奥からこみあげそうになったけれど、なみだ目になりながら飲み込んだ。ほんの少しだったけれどずいぶん時間がかかった。
スプーンが離れていくと、ボクはすぐに自分の目の前のシチューに手をつけた。
お腹が減ってるからじゃない。そうしないとこれ以上なにが起きるかわからなかったからだ。食べるのに集中している間はなにもされないだろう。
案の定アテムはボクの食べるのを確認すると、自分もまた黙って食べ始めた。ボクは一心不乱でシチューをかきこむ。
何の味も感じない。ただ機械的に口につめて飲み込むだけ。油断すれば本当に吐いてしまいそうだった。
やがて一皿分ようやく片付けたころ、食べることを繰り返したボクはすっかり疲れてしまった。
アテムが見計らって、席をたつ。
そのままボクと自分の分、二つ皿を手に乗せると流し台の方へ足をむけた。当然無理やりつながっているボクも。
「気を使わなくてもいいぜ。俺が全部やるからな」
ボクが用心深くみていると、アテムは皿を洗い始めた。視線が外れたことにほっとする。
流れる水音にまぎれて、ボクはあたりにすばやく目をやった。この鎖をとくきっかけを見つけるなら注意がそらされてる今しかない。
あちこちに目をやったあと、やがてカウンターでぴたりと止まった。あるのは緑色の固い鉄の箱。
工具箱だ。
ボクはゆっくりアテムの方を振りかえった。アテムはまだ皿を洗っている。確認してから、音をたてずに静かに手を伸ばし始めた。
思ったより距離がある。気をつけていたつもりだけど、鎖が小さく音を立てた。
途端にはっとしたけれど、
「ああ、すぐ終わるからもう少し待ってくれ」
アテムはまだこちらをみない。
ほっと息をついて、さらに手を伸ばす。緑色のその箱に。
もう少し。
きっと中にはこの鎖を壊す道具が入っている。気づかれないように中身を取り出さないといけない。緊張からか指先が少し震えていた。
あともう少しで箱に手が届く。あともうちょっとで…
「相棒?」
身体が硬直した。
いつの間にかアテムは洗いものをすませてこっちを見ていたのだ。固まるボクをよそに彼は箱を手にとった。
「あまり触ると危ないぜ」
そして背伸びして棚の一番上に閉まう。ボクじゃ絶対手が届かないような高い高い棚の上に。
ああ、失敗した。もう無理なんだ。あそこには手が届かない。
ボクは泣きそうになりながらその後姿を見つめるしかなかった。



「さあ相棒。離れている間のことを、俺にぜんぶ話してくれ」
そのあと、テーブルにもどってから彼が口を開いた。
うきうきした調子で、まるでなにか楽しいことが始まるみたいに。一体なにがそんなに面白いのかボクにはわからなかった。
息をするのが苦しい。こわい。
「相棒?」
少し引いていた冷や汗がまたあふれ出てきた。
「…ねえ…」
大きな声をだそうと頑張ったのに、結局出てきたのはいつにも増して小さい声だ。
「どうしてこんなことするの?」
いっぱい考えたけど、出てきたのはやっぱりそんな言葉だった。
だってどうしてなのかまったくわからないんだ。どうして彼がいきなりボクを家に引っ張って、こんなことをしたのか。心の底においやってた小さな頃の思い出だってここまでじゃなかった。むしろもっとひどい。だって、あきらかに彼は計画していたんだ。でなければ夏休みの今や、ママたちが出かけるこの日に実行したりしない!
アテムは心外だ、というようなびっくりした顔つきをした。それにもっと驚いたのはボクだ。
「どうしてって…なにも俺は閉じ込めたりしていないだろ?」
していないだって!?
思わずきっとにらみつけてしまった。
「してるじゃないか!現にボクをこうやって縛り付けてるじゃないか!」
感情が爆発した。止められない。アテムは目を見開いて固まったままこっちを見ている。
「ちっちゃいころにキミはボクを閉じ込めてたけど、あれよりずっとひどいよ!一体キミはなにがしたいの?ねえ!!」
アテムは何も話さない。ただ呆然としたようにボクを見つめていたままだ。何か言ってよ。キミの考えてることがまったくわからない。ボクをこうして、どうするつもりなの?
…ボクたちはもうあの日遊んでいた幼いころとは違うのに!
視界が涙で曇る。息を吸い込んで、ひといきに叫んだ。
「ねえ、答えて!!今すぐボクを帰してよ!!」
一瞬、しんとした。そのあとだ。
「−−俺は」
ふいにアテムが口を開いた。赤い目がぎらりと光を帯びた。
まずい。
ボクは直感的にそう感じた。だけど、もう。
「俺は違う!」
遅かった。アテムが一気にボクに飛びかかってきたのだ。
喉も割れるばかりの悲鳴。
たちまちボクの身体はカーペットの上に押し付けられた。はっと見上げるとアテムが上になって見下ろしていた。その手は力強く腕を拘束している。腕にくいこむ力はボクに力の差をまざまざと見せ付けた。やっぱりアテムはもう小さな子どもじゃない。1人の男の人なんだ。
「…ぃやっ!いやぁっ!!」
ボクは泣き叫んで、力の限り暴れた。
だけど構わず押さえつけて彼は顔を近づけた。唇をふさがれた途端、びくっと身体がしなる。やわらかい、だけど彼の一部であるその唇。ボクはショックで動けなかった。
その間に手がシャツの間にもぐりこんで、すぐ下にある肌に触れる。まるでひとつの生き物みたいに動く冷たい彼の手のひら。身体の線をたどるように上っていって、ついに胸にまでたどりついた。
涙があふれる。
混乱に混乱がつづいて、ボクはほんとうにどうにかなりそうだった。
いや。いや!こんなのは、やだよ!!
ぐちゃぐちゃの意識のなか、ボクはまた力の限り抵抗して押しのけようとした。唇がやっと離れる。息を吸い込んで酸素をいっぱいとりいれようとしたら、ひどくむせてしまった。
ふと気がつけば、身体にかかる重みがない。いつの間にかアテムの身体が離れていたのだ。
滲む視界で見上げると、彼は呆然としたような顔をしていた。
そして、そのままの口調で、
「…すまない」
謝罪の言葉は拍子抜けするほどあっさりだった。
「すまない相棒…こんなこと、よくないよな」
彼はもう一度言う。どこか深い口調だった。
ボクは一瞬なにが起こったのかよくわからずぼんやりしていたけれど、彼の目が本当に憂いを含んでいるのに気づいた。途端に身体の力が抜けていく。
わかってくれたんだ!こんなの間違ってることだって!
確信したボクは、今度こそ胸に安堵があふれてくるのを止められなかった。
「…じゃあ、」
ボクは期待をこめてアテムを見つめる。アテムは頷いて、

「ああ。愛のあるセックスから産まれたんじゃなかったら、がっかりするものな」

そのとき、全ての血が凍ったように思えた。
なに?とボクは耳を疑う。
意識が遠のいていきそうだった。なに?今、なんて…?そうしてだんだんと頭が理解へむかったとき、今度こそ身体が震えてくるのを止められなかった。
目の前の男は口の端をもちあげて、今度は優しげな笑みを作った。
「…だから、当分2人きりだな」
恐怖が加速する。
怖い。
こわい。こわい!!
身体に回された腕は温かだったけれど、それ以上にわきあがる嫌悪感がとまらない。足は震えて鎖の長さの距離をとることすらできそうになかった。
ママ。じーちゃん、杏子!
ボクは心臓のある位置をぎゅっと掴んで、一心不乱に祈った。もはや涙はとめどなくあふれて、すっかり視界を覆う。
そして力いっぱい叫んだ。つもりだった。だけど口はただ、その言葉を形どるだけなのだ。
『たすけて』と。


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